NPO琉米歴史研究会  
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文化財・美術品などの返還交渉

 60年余前、沖縄では日本で唯一の住民を巻き込んでの地上戦が行われ、当時の人口の3分の1の人々が亡くなりました。しかし、失われたものは人々の生命だけでなく、沖縄の素晴らしい歴史や文化的遺産の証であるたくさんの建造物や美術工芸品や文化財等も失われました。

 歴史的に重要な宝物や文化財・美術品などは、戦争によって破壊され、瓦礫に埋もれたと信じられてきました。しかし、琉米歴史研究会が、失われた文化財や遺品を捜し求め、元ある場所に戻すという大変困難な活動を始めてからは、その多くがアメリカの兵士たちによって戦利品として、または金儲けのために米国に持ち去られたという事実が分かりました。

 私たちは、流出した文化財・美術品の返還交渉をさらに進めると同時に、今だ発見されていない多くの宝物や文化財に関する情報の調査を続けています。

 沖縄から持ち去られたものに関する情報は何でも受け付けております。秘密は厳守します。また、位牌や手紙・書類、アルバムなど沖縄の民家から持ち去られた個人の遺品等の返還も行っています。持ち主が分からない場合でも当会のリサーチャーが、探す努力をいたします。これまでに140件以上の戦利品が本土や沖縄の関係者に返還されました。


失われた沖縄の歴史と文化−琉米歴史研究会からのメッセージ−

 琉米歴史研究会は、沖縄戦中や戦後に、沖縄から‘盗まれた’文化財などの返還のために、長年にわたって活動しています。我々は、それらを単純に沖縄から‘持ち去られた’とか‘取られた’というのではなく、あえて‘盗まれた’と表現しています。なぜなら、アメリカ国務省は、ナチスドイツと戦った後のヨーロッパ大戦中の1944年に、文化的価値を持つ物は、戦利品として持ち帰ったり、取ってはいけないという命令を出していたからです。このような命令が出された背景には、当時のアメリカのアート市場に、特にアメリカ東部のさまざまな都市において、盗まれた美術品や宗教的な品々が急激に市場に出回ったことにあります。

 しかし沖縄戦において、この命令は厳守されませんでした。残念なことに、沖縄戦で破壊されることなく残った文化財の多くは、盗まれてしまったのです。

 写真や旗、銃や武器などを戦利品として持ち帰ることは許されていましたが、沖縄の港では軍の検査官が配置され、沖縄を出発する兵士たちの荷物を検査し、軍事的かつ諜報的な価値を持つものを含め、歴史的、文化的価値を持つものがないか調査していました。

 しかし、不幸なことに、沖縄から文化財を盗むために自分の地位や特権を利用した軍人もいました。第6海兵隊司令官ルミュエル・シェファード少将がお寺の古い鐘と大黒様の像を持ち帰ったという事実が、そのことをよく表しています。また、アメリカ海軍将校のニコラス・クリントンは、二宮金次郎の像を持ち帰り、母校のローリンズ大学に寄贈していました。幸運なことに、前述の文化財は琉米歴史研究会の要請により沖縄に返還されました。二宮金次郎の像は、現在、沖縄尚学高校に展示されており、生徒たちに沖縄戦によってどのようなことが起こったのかということを強く印象づけています。また、シェファード少将が持ち帰った鐘は、琉米歴史研究会に返還された後、首里城復元委員会に寄贈されました。大黒様の像は、今回の写真展において展示されています。

 さらに、沖縄戦中は諜報官として働き、戦後は沖縄の軍港で税関検閲官をしていたカール・スタンフェルト海軍中佐は、仕事上の地位を利用して、沖縄を出発する兵士たちから没収した沖縄の文化財をたくさん盗んでいました。私は、彼の戦利品の行方を求めて、ハーバード大学、ボストン美術館、ピーポディ・セーラム博物館、そしてペンシルベニア大学博物館を訪ね歩き、ついにマサチューセッツ州のボストン郊外で行われたオークションにたどり着きました。1977年に行われたそのオークションでは、スタンフェルト中佐の死後、彼の家族によって、たくさんの沖縄関係の品々が売りに出されていました。

 今回ここに展示されている琉球古地図(およそ1740年)は、1977年のオークションで販売されていた品々のひとつであり、妻の誕生日プレゼントとしてこの地図を購入した銀行家によって、琉米歴史研究会に返還されたものです。彼は、17年前のオークションに参加したすべての人に送った私の手紙を読んで、返還を決意してくれました。私は、1991年にボストンに住む彼を訪問し、沖縄にその地図を持ち帰りました。

 地図を鑑定した専門家によると、この地図に使われている絵の具の色は、明治時代になるまで京都や日本のどの地域でも使われていないものだそうです。さらに専門家は、現代の技術も使わずに作られたこの地図の正確さに驚いたそうです。琉米歴史研究会は、この地図を沖縄県に寄贈しました。まさに、この地図の真の持ち主である沖縄の人々のもとに返還されたのです。

 しかしながらこのようなことは、氷山の一角に過ぎません。沖縄から盗まれた何千もの、いいえ、何千万もの歴史的、文化的な品々が、いまだにアメリカの美術館や博物館、大学や個人のコレクション、軍学校などに収蔵されています。このような状況によって、沖縄の人々は、自分たちの歴史や文化に対する理解を広く共有するきっかけを失っています。

 近年の沖縄ブームに見られるように、沖縄の食べ物、音楽や踊り、観光スポットは、沖縄への注目度を高めています。一方で、‘ブームは、去ってしまうもの’でもあります。私たちの先祖が、沖縄の歴史や文化に刻み付けた技と誇りは、私たちに返還され、沖縄に存在するべきです。そうすることで、沖縄の輝かしい過去を見つめ直し、前進することができるからです。


掲載記事
1998年7月18日 沖縄タイムス  
1999年9月22日 琉球新報  
2005年9月29日 沖縄タイムス  
2006年 沖縄タイムス  
2006年4月10日 琉球新報  
2006年5月9日 琉球新報  
2007年6月12日 琉球新報13日 琉球新報14日 琉球新報
2007年6月21日 沖縄タイムス  
   

 


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