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Durel Gibs(ドゥレル・ギブズ)氏による
沖縄戦時遺品返還について


日本兵の財布66年ぶり帰国 紫波町で沖縄戦の元米兵 images 

太平洋戦争の沖縄戦で戦った元米兵が27日、紫波町を訪れ、1945年に戦地から持ち帰った財布を、持ち主の北條啓二郎さん(故人)の次女菊地ノリ子さん(69)に返還した。財布には髪の毛と切った爪が入っていた。遺品が66年ぶりに遺族の元へ返り、菊地さんは「父の霊を届けてくれた」と声を詰まらせた。

訪れたのは、米国モンタナ州に住むドゥレル・ギブズさん(85)。子ども3人と、ギブズさんと菊地さんを引き合わせたNPO法人琉米歴史研究会(沖縄県)の喜舎場静夫理事長が同行した。

ギブズさんは同日午後3時ごろ、紫波町日詰の菊地さん宅に到着。「戦利品として持ち帰ったが自分に家族ができ、この財布が誰の家族なのか考えるようになった。何十年と返したい気持ちだった」と語り、返還した。菊地さんは「長い間(心に負担をかけて)申し訳ありませんでした」と涙ぐんだ。

この後、北條さんが眠る同町片寄の隠里寺を訪れ、墓参りをした。

ギブズさんは2等兵として沖縄県に上陸。同県南部の与座岳付近で45年6月、日本兵の遺体から財布を持ち帰ったという。

財布の中の紙包みに北條さんの名前が書かれていた。写真は12枚入っていたが、北條さんのものはなかった。

県、町によると北條さんは15(大正4)年1月、志和村土舘(現紫波町)生まれ。志和地区戦没者追悼誌には、入隊は「昭和19年5月」、部隊歴は「弘前入隊・暁部隊」と記載されている。

父が召集された時、菊地さんはまだ2歳。父の顔は覚えていないが、ギブズさんに会い「父に会ったような気持ち。遺品が戻りよかった」と安心した表情を浮かべた。


<2011.6.1 岩手日報>



「ようやく帰ってきたね」 菊地さん(岩手)父の遺品と対面 images 

【東京】沖縄戦で日本兵の財布を持ち帰った米モンタナ州在住の元米兵ドゥレル・ギブズさん(85)が27日、岩手県紫波町で遺族の菊地ノリ子さん(69)と対面し、遺品を届けた。戦後66年間、気に掛けていたというギブズさんは「ようやく落ち着ける気がする」と言葉を詰まらせ、菊地さんは「長い間重荷を背負わせて申し訳ありません」とねぎらった。

財布に写真や封筒があり、「北条(北條)啓二郎」と記された封筒には髪の毛と爪(つめ)が入っていた。ギブズさんは1月に沖縄を訪問。米国に渡った戦利品などの返還に取り組む琉米歴史研究会の喜舎場静夫理事長が仲介し、北条さんの娘菊地さんを捜し当てた。

息子2人と娘を連れて菊地さん宅を訪ねたギブズさんは「結婚し家族を持ち、日本兵の家族のことを考えるようになった」と述懐。菊地さんは「ようやく帰ってきたね。これで安心できるよ」と遺品に語り掛けた。

一行は北条さんの墓も訪問。ギブズさんは花や線香をたむけ「安らかにお眠りください」と手を合わせた。ノリ子さんの夫省吾さん(77)や親族らが見守った。

のどかな水田が広がる北条さんの故郷を訪ねたギブズさんは「穏やかで美しい土地だった。こういう日が来るとは夢にも思わなかった」と積年の思いを果たした感想を語っていた。

2歳のころ戦死した父の面影を覚えていない菊地さんは「父に会えたような気がした。何としても帰りたかったのだと思う。私も使命を果たしたような気持ち」と話した。

<2011.5.28 琉球新報>




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